【前置き】
ランクマとかポケカで勝つにはどうしたらいいかを考えているうちに何故自分がこれらのゲームを楽しいと思っているか疑問に思った。そしてどういったゲームに人気があるのか、勝つことで人からすごいと思われるのか知りたいと思った。将棋とか他のゲーム性についても含めて考えたいきたい。
【勝負の4つの要素】
全ての勝負事の勝敗は以下の4つの要素により分類できると思う。課金要素により強いアイテムが手に入らなくて無課金が弱くなるようなことは無視する。どんな勝負もルールを守り最善を尽くすとする。
4つの要素とは運、択、思考力、運動能力である。
・運
運とはプレイヤーの介入ができずに勝負を分ける要素である。
運の要素が多いゲームといえば双六だろう。双六にもよるがプレイヤーの選択する要素などなく、ただサイコロを振り続けるものは勝敗にプレイヤーの行動が介入できない。
・択
運と混同しやすい気がするが、自分の行動によって勝敗がわかれる要素である。運との違いは八百長ができるかどうかにある。コイントスは表裏を操作できないがじゃんけんは予め手を話し合えばどちらかを勝たせられる。
ほぼ完全に択になるゲームといえば今言ったジャンケンだろう。
この性質故に物事を手っ取り早く決められる。
あと、恐らく「択」という言葉は正式な日本語ではないがこれに該当する言葉が見つからなかった。多分レートしてる人にしか通じない。
・思考力
戦略性など頭脳によって行動選択する要素。思考力で全て決まるゲームといえば将棋だろう。こういったゲームはコンピュータで勝ちパターンが計算できる。
・運動能力
個人の運動神経や反射神経による要素。運動能力が多く関係するゲームといえば100m走がある。筋力や瞬発力が高い人が勝つ。
以上の4つの要素で勝負事は構成されると考える。それぞれの極端な例を挙げたがじゃんけんは手の形が作りにくいからチョキを出す人はやや少ないとか戦略性もややある。あらゆるゲームは複数の要素を含んでいると思う。
【評価される要素】
勝負に勝つことで他人から称賛される要素としては思考力と運動能力の要素が多いものだと感じる。
運動能力に関して言えばスポーツの大会とかアクションゲームだろう。思考力が大きく関わるゲームといえばカードゲームやポケモンのランクバトルその他の戦略性のある対戦ゲームがある。
例えばポケモンのランクバトルは構築を考えたり戦うときの思考力、技の効果等による運、試合中の行動や選出の択、早押しによる若干の運動能力の要素から成っているといえる。
自分が勝って楽しかったり、他人から勝利を称賛されるのは「実力」を感じることができるからだろう。特に同じ人が勝ち続けることがあるゲームは実力があるように見える。
じゃんけんやババ抜きで勝ち続けるのは難しい。
ゲーム等でルールや効果が修正されることがよくあるだろう。これはお互いに同じポケモンの選択肢やカードプールのままであることは変わりないのに何故行われるのか?これは運や択の要素を抑えようとしているためである。ゲームでのオニゴーリの弱体化は回避率による完全な対策のしようがないゲームを避けるためであろう。ポケカの先行サポート禁止は先行が有利すぎてジャンケンで勝って先行が勝つだけのゲームにならないようにするためであろう。
しかしここで注意すべき点は運要素を完全には排除しようとしていないことである。むしろ運に頼る戦術があってもいいと製作者側も考えているのである。一撃必殺やクラッシュハンマーは一方的な試合にならない程度に一つの戦術として製作者は考えているのだろう。
【自分がランクマとポケカをする理由】
そして自分がポケモンのランクマやポケカをしているのかというとこれらのゲームには共通点があり、自分が好んでいるからだと気づいた。その話をしていく。
まず、自分は運動能力による勝負事はあまり好きではない。今からどうあがいても100m走でオリンピックには出れないだろう。これは突き詰めると才能の限界に直面するからだ。それは極端は話だが、最近やったアクションゲームといえばDSのニュースーパーマリオブラザーズの通信対戦で1対1でスターを取り合うゲームだ。
これをこの前集まって何人かとやったが同じ人には何回も勝てれば、他の人に負ける時はほぼ全て負ける。実力が関わっているゲームといえる。しかし、これに関しては自分が何故勝ったのか負けたのか理由がよくわからない。皆感覚でやっていてなんとなく勝ってなんとなく負けている。だから上達する方法がよくわからなくて強くなれる気がしない。
アクションゲームは結局指を鍛えることに行き着き才能の限界になりそうでやり込む気にはならない。
そうなると思考力の要素の多いゲームをしたいと思う。考えることなら才能の限界が目に見えることがない。思考に費やした時間がものをいう気がする。しかし、将棋やオセロのようなゲームは自分はあまり好まない。何故なら将棋で強い人に負けた時相手の経験による対応力があったから負けたとしか思わない。自分も幼少期から毎日将棋をしてたら勝てたかもしれないと思う。特に将棋のような運の絡まないゲームはコンピュータにより最善手が計算されている。結局将棋を練習することはコンピュータで計算できるものを覚えていることに過ぎないように思える。将棋より複雑でないオセロに関して言えば6×6の盤面なら後手必勝法があるらしい。8×8は膨大な計算が必要でどちらが有利かは今は不明らしい。
だから将棋を極めることは自分は馬鹿らしいと思う。しかし、将棋はコンピュータによって完全に解析されてはない。別にコンピュータに勝つためではなく人に勝つために練習するのだから極めることに意味があるという人もいるだろう。自分が馬鹿らしいと思うのは人は速く走れても自動車に勝てないから陸上競技は意味がないと言っているのと同じようなことかもしれない。
それに比べてランクマとポケカは思考力に加えて運と択の要素がある。運が絡む以上は必勝法は存在しない。ある特定の構築が環境に増えるとそれの対策が増えていくように勝てる構築も日々変わり続ける。相手の構築依存のゲームなのでそれを対戦前段階だけでコンピュータで計算し尽くすことが不可能なのだ。
数あるポケモンの中から構築を組んだり、カードプールからデッキを組むことは試合が始まる前から相当考える必要がある。だが考えた分だけ報われる。何もわからない初心者には一方的に勝てるし、ある程度考えたプレイヤー達を出し抜くプレイングや構築が組めれば連勝だってできる。そこに自分の実力を感じられて楽しいと感じる。
このようはゲームの収束する先は何か一強の構築ができるか、強力ないくつかの構築がありその相性で勝負が決まることではないかと思う。しかし、そこで相性不利にどうワンチャン掴むか運や択の要素が絡んでくる。結局は考え抜いた実力者同士の戦いには運や択の勝負になるかも知れないが、そこまで行き着くのに相当な思考が必要になる。
その上級者がどれだけいるかは分からないし存在しないかもしれない。その領域に行きたいのである。
このように自分のやりたい勝負というのは自身の思考に費やした努力が実力として反映されて、コンピュータには計算できないものである。
以上。現時点の自分の考えはこんな感じ。意見等あればどうぞ。
また、続きを書くかもしれない。